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熱海を見続けてきた喫茶店「ボンネット」。
半世紀以上営業しているこの喫茶店のマスター・増田さんに当時の熱海の話をして頂いた。

ボンネット店内

第1章 ハンバーガー??

50年以上変わらない味・伝説のハンバーガーをご存知でしょうか。

昭和27年4月。熱海の中心部・銀座に、人々がこれまでに見たことも味わったこともない 「ハンバーガー」を出す店「ボンネット」がオープン。

店内に入ると、なんだかタイムスリップしたような気分。落ちついた照明のもと、心地よいジャズが流れる。

当時を知らない私でも、なんだか今時のお店とは違う、レトロな感覚を覚える。
その落ち着いた雰囲気を求めて、多くの常連さんがコーヒーを味わっている――

戦後まもなく、米軍のキャンプに出入りしていたマスターが、「ハンバーガー」の味を知った。

「これは日本人の口に合う!日本流にアレンジして目玉商品としていける!」

ハンバーガー そう直感したマスターが、秘伝メニュー、オリジナルハンバーガーをメインに熱海の銀座に店を出した。
以来57年、半世紀以上。今も変わらない味を保っている。

今でこそ「ハンバーガー」はいつでもどこでも口にすることができるもの。

「最初は奇妙がられてね」

「ハンバーガー」がない時代・・・想像がつかないのだが、さぞかし驚かれたことだろう。 それを人々に定着させ、半世紀も同じ場所・変わらぬ味を保つとは。
マスターはタダモノではなさそう。

壁にかかるロゴデザイン 店名は当時の洋画「イースターパレード」に登場する女性たちがかぶっていた、 つばの広い帽子にちなんだものだそう。やっと店のロゴデザインの意味が分かった。 ずっと車のボンネットだと思っていた・・・。

私はこの店から歩いて数分のところで生まれ育ち、 小さな頃からコーヒー好きの祖母や母に連れられ「ボンネット」に出入りしていた。

まだコーヒーの味がわからなかった私が注文するのは決まって「オレンジジュース」。

なぜ母たちがいつもこの店に来るのか分からなかったが、20年以上経った今、自分は同じことをしている。
私が注文するものは子供の味から大人の味へ、コーヒーへと変わっていった。 そしてここのコーヒーは他と違うことに気づく。


熱海芸妓

第2章 ゲイシャガールズ

さて、現在熱海には250名ほどの芸者さんがいる。 が、今から25〜30年ほど前は1,000人ほどもいたそうだ。

「夜には芸者さんたちもぞろぞろ歩いていて、観光客は旅館の浴衣で下駄をならして この銀座通りを大勢歩いていたもんだよ。今は、浴衣で歩く人も少なくなったねぇ。」

確かに。今ではあまり浴衣姿で出歩くお客さんは少ない。
でも浴衣姿の人を見かけると、やっぱり熱海は温泉街なんだなぁ、と、生まれ育ったこの街を誇らしく思う。

多くの芸者さんたちは、お座敷のある日には午後美容院へ行き、その帰り、お座敷までの時間、 この店でコーヒーや軽食を楽しむようになった。
日課のように芸者さんが出入りする「ボンネット」に、 いつしか観光で来る人たちが「今晩のお座敷に呼ぶ芸者さん」を品定めに来るという現象が起き始める。

シンプルなカップとソーサーで出るコーヒー 同時期にこの店の常連の一人に作家の広津和郎(かずお)先生がいる。 広津先生は当時「中央公論」に文を書いていた。

この「ボンネット」での現象を取り上げたところ、大反響を呼んだ。 「芸者の普段の姿が見られる」というので、遠くから足を運ぶ人も多くなった。


第3章 カナヅチ??

湯河原町から熱海へ入ってくる途中の伊豆山地区に、当時「熱海ホテル」が建っていた。 そこには、余暇を過ごす有名人・著名人が多く出入りしていた。 その側のマンションに住んでいたマスターは熱海ホテルのプールで、あの三島由紀夫先生に出会う。

「当時の映画や音楽の話で盛り上がってね。それからだなぁ、三島先生とは。」

毎年夏休みの1、2ヶ月をこのホテルで過ごしていた三島先生は、 決まってプールサイドで日光浴していたという。

「三島先生はボディビルもやっていたからね、すごい体をしていたよ。 でもまさかカナヅチとは知らないで。まずいかなぁ、こんな話。 でももう何年も経っているからいいよな。」

え、カナヅチ?何でもできてしまう、オールマイティな方だと思っていた・・・

壁には落ち着いたランプとオープン当初から変わらないメニュー 「『三島先生、泳ごうよ』と言ったら、ぼそっと『カナヅチなんだよ』って言うから驚いてさ。 でも『僕は日大の水泳部出身だから教えてあげる』と言って犬かきから教えたんだよ。」

なんと!あの三島由紀夫に泳ぎを教えた!身近にそんな方がいるなんて!

「この店に来るときは、紺と白のシマのシャツにジーンズ、 サングラスをかけていたのを覚えているなぁ。すでに有名人だったから、三島先生は。 熱海では一般人として、誰にも騒がれずに過ごしたかったんだろうね。」

今にもドアを開けて三島先生が入ってきそう。
私はテレビで見る軍服の三島先生しか見たことがない。
普段着でコーヒーを飲みに来る先生は、いったいどんな人だったのだろう。 もう少し早く生まれていれば、ここで会えたのに。


第4章 銀座

調理をするマスター 昭和30年代、銀座の上、現在の中央町には『熱海国際劇場』という映画館があった。

「越路吹雪さん、こーちゃんとはよく国際劇場に見落とした映画を観に行ったよ。」

シャンソン歌手であり、舞台にも立っていた越路さんは、「ボンネット」でコーヒーを飲みながら、 客として来ていた芸者さんたちの話に耳を傾けていたという。

「芸者の振る舞いやおしゃべりを、芝居のネタにと盗んでいたんだ。」

やがて銀座通り上にあるニューフジヤホテルに別館「レイホー」ができ、 そこでは様々なディナーショーが開かれるようになった。
トニー谷さんや美輪明宏さんをはじめとする数多くの芸能人がショーに出演するために熱海を訪れ、 その度に彼らは「ボンネット」へと足を運ぶようになった。

熱海銀座の路地に建つ「ボンネット」 「ここは(東京の)銀座だなぁ」

トニー谷さんはこの店に来ると決まってそう言った。

私も感じる、店内に足を踏み入れた時の何とも言えないレトロな雰囲気はそれだった。
昔の東京・銀座にはこのような店が多く立ち並んでいたんだろう。

「そういう、銀座の雰囲気を出したかったんだよ」

マスターは懐かしそうに言った。オープン当初を思い浮かべているのだろうか。

「ボンネット」を愛した人は数知れず。

「谷崎(潤一郎)先生はあの店にもよく行っていたよ。」

昔の熱海や文豪について調べる時、私はまずマスターに聞く。 マスターはいつでも快く穏やかな口調で語ってくれる。

コーヒーを飲みながらマスターの話を聞いて、目を閉じる。三島先生や谷崎先生もこの席に座っただろうか。

当時の銀座を知らない私にもそれが伝わる「ボンネット」は、時を止め、 音楽や風潮を閉じ込めた、熱海の宝箱のような店だと思った。

【ボンネット】
住所/熱海市銀座町8-14ロマンス座通 電話/0557-81-4960 営業/9:00〜19:00 定休/日曜日

Fukada(1999.5)


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