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芸妓衆が厳しいお稽古をする場、芸妓見番(げいぎけんばん)。1954年(昭和29年)に現在の建物が完成しました。当時としては立派な建物で、 東海一の芸妓組合と言われていました。
現在はここを会場に、毎週土日「湯めまちをどり華の舞」を開演しています。
普段はなかなか見ることのできないプロの踊りをご堪能下さい。着物の着こなし、振る舞い、ため息ものの美しさです。
※8月は休演
※2023年10月「熱海芸妓茶屋」オープン
(2024年11/22更新)※2025年1/1(水祝)・1/2(木)特別公演(入場料3000円)を行います。 -
伊豆山神社の所蔵品を中心に、伊豆山地区に代々伝わる郷土資料を展示しています。
特に、静岡県有形文化財である「銅造走湯権現立像」(どうぞうそうとうごんげんりゅうぞう)や「木造宝冠阿弥陀如来像及び脇侍像」(もくぞうほうかんあみだにょらいぞうおよびわきじぞう/静岡県指定有形文化財)など、往事の信仰を考えるうえで貴重な資料を展示しています。
また、北条政子の頭髪で刺しゅうされた曼荼羅であると伊豆山神社に伝わる「頭髪梵字曼荼羅」(とうはつぼんじまんだら※複製)なども展示されています。
●2024年11/28(木)~12/24(火)、北条政子の髪で刺繍されたと伝わる法華曼荼羅の実物を公開します。 -
天才と呼ばれたアーティストの軌跡
版画や絵画、映画など幅広い才能をほしいままにしたマルチアーティストの故池田満寿夫が1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)に亡くなるまで住まいとして、またアトリエとして、世界的ヴァイオリニストの佐藤陽子氏と過ごした家。
天才と呼ばれたふたりがともに暮らし、芸術活動の拠点としたこの家には、池田氏の芥川賞受賞作「エーゲ海に捧ぐ」の直筆原稿や年譜、写真、リトグラフ、陶板など、また佐藤氏のステージ用ドレスや楽譜、年譜、写真などが展示されています。
ふたりの華やかで気取らない日々の暮らしの一端をご覧ください。
(2024年11/29更新)※大雨による漏電・施設損壊のため、11月初旬より休館していますが、12/1(日)より再開します。 -
日本三大古泉の一つ
相模の海に臨む「走り湯」は、日本でも珍しい横穴式源泉で、日本三大古泉の一つです。
今から約1300年前に発見され、山中から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から 「走り湯」と名付けられました。
「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。
奥行5mの洞窟から今も70度の湯が毎分170リットル湧き出ており、源泉は神秘的な光景が広がります。 -
全てが美しい美術館
東洋美術の絵画・書跡・工芸を中心に国宝3点、重要文化財67点、重要美術品46点を含む約3500点の収蔵品を誇る熱海を代表する美術館。尾形光琳の最高傑作とされる国宝「紅白梅図屏風」(※期間限定公開)は特に名高い作品で、毎年2月の梅の季節に合わせた公開を待つファンも大勢いらっしゃいます。
美術館は7万坪にも及ぶ熱海の高台に建てられていて、館内のメインロビーやムア広場からは伊豆大島や初島など、美しい絶景が望めます。施設内には、春には桜やツツジ、初夏には新緑、秋には紅葉と四季折々に違った姿を見せる庭園も完備。アートと自然を味わいながらリゾート気分でゆっくりとお過ごしください。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ「大湯間歇泉」は、古くからの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉でありました。
「大湯」の噴出は昼夜6回あり、湯と蒸気を交互に激しい勢いで吹き出し、地面が揺れるようであったといいます。
明治中頃から次第に減少し1923年(大正12年)に止まってしまいましたが(大地震の際に再び噴出したこともありました)、1962年(昭和37年)に、市の文化財として保存し、現在に至っています。
現在はおおむね5分毎に人工的に湯を噴出させ、往年の大湯噴出の様子を再現しています。
(2024年9/25更新)※8/29(木)より配管故障のため蒸気噴出が停止しておりましたが、9/25(水)14:45、復旧しました。 -
熱海山口美術館は2020年12月に熱海市にて開館。ルノワールやピカソ、岡本太郎など著名な作家の作品を多数所蔵しています。お客様にご入館いただくだけでなく様々な取り組みが行われています。
・入館料に1ドリンク付(人間国宝作家の器でお抹茶を選択可)・入館料にマグカップ絵付け体験付(10分程度でお持ち帰り可能です)・美術館では珍しく写真撮影OK(フラッシュのみNG)・実際に触れることができる作品があります(岡本太郎作品等)・国指定重要文化財の仏像2躯を展示中
※2024年9/16(月祝)は「ナイトミュージアム」として20:30まで開館延長します。(最終入館20:00) -
ブルーノ・タウトが日本に残した建築
アジア貿易で活躍した日向利兵衛が別邸の離れとして1936年(昭和11年 )に竣工。
木造二階建ての母屋の設計は、東京銀座の和光、東京上野の東京国立博物館、愛知県庁などの設計で知られる渡辺仁によるものです。
地下室はドイツの世界的建築家:ブルーノ・タウトが内装を設計、タウトが日本に残した唯一現存する建築作品です。
竹や桐をふんだんに用いた社交室、部屋の一部として階段のある洋室、そして和室の3室から構成され、桂離宮、伊勢神宮など日本の様式美を意識して設計されています。日向氏の死後は民間企業の保養所として大切に使われてきましたが、その後、取り壊しの危機に直面していた2004(平成16)年、東京在住の篤志家の寄付により熱海市が取得。2006(平成18)年には、国の重要文化財に指定されました。
竣工から80年以上が経過し、経年劣化に伴う破損や耐震性向上のための修理事業が急務となり、2018(平成30)年度から2021(令和3)年度まで、大規模な保存修理事業が行われました。
2022年8月、建築された当時の状態を可能な限り保存し再現して一般公開を再開しました。※見学は完全事前予約制(ネット予約のみ)となります。詳細・予約は下記HPにてご確認ください。
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名邸で大正時代の文化財に触れる
1919年(大正8年)に別荘として築かれ「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣。1947年(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。今は熱海市の文化財として一般公開されています。
市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる本館(和館)と離れ。日本、中国、欧州などの装飾や様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館。優美な気品を醸し出すこれらの施設は、歴史的・文化的遺産として未来に継承されます。 -
大正時代の作曲家:中山晋平の別荘
大正初期から大衆音楽の普及に大きな足跡を残した「てるてる坊主」「肩たたき」「シャボン玉」などの著名な作曲家、中山晋平(1887年~1952年)の別荘を移築し、一般公開しています。
中山晋平は1944年(昭和19年)、第二次世界大戦がはげしくなったのを契機に東京都中野区より熱海市に移住し、1952年(昭和27年)に亡くなるまで居住していました。
館内には、作曲に使用したピアノや、直筆の譜面、当時のレコードなど貴重な物が展示されています。
日本庭園の静かなたたずまいの中に落ち着いた木造建築がとけあい、 訪れる人々の心に安らぎを与えてくれます。 -
天然温泉の足湯
熱海駅前にある、天然温泉を使用した足湯。徳川家康来熱400年(2004年3月)の記念事業として設置され、連日多くの人でにぎわっています。
お湯は16:00以降にすべて抜いて毎翌朝掃除するので清潔。新湯を再び張り、利用する“かけ流し”足湯です。オリジナルタオル1枚100円(税込)を自販機にて販売していますので、気軽に立ち寄ることができます。
温度/約41度(源泉は68度) 、泉質/ナトリウム・カルシウム-塩化物、効能/神経痛・筋肉痛・関節痛・打ち身・慢性消化器病・冷え性・疲労回復・切り傷・火傷など -
”自然との共生”をテーマにした絵本美術館
熱海市の閑静な別荘地にたたずむ ”自然との共生”をテーマにした戸田幸四郎絵本美術館は、絵本作家でおなじみの戸田幸四郎氏が、絵本の世界観を表現するために、建物、ガーデンなどすべてをデザイン。
戸田氏がこれまで描いてきた絵本の原画、知育絵本や創作絵本、また、太宰治の「走れメロス」などの名作を絵本にした作品など、多数展示されています。芝生の上で貸出の絵本をみたり、鳥の声や四季折々の風景を楽しんだり、ゆっくりとした時間が過ごせます。
併設されているカフェは海と山々の絶景を楽しむこともできます。
熱海の自然と『とだこうしろう』の思いが ひとつになった場所です。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、「小沢の湯」。
沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称していましたが、土地の人は小沢にあったので「小沢の湯」と称しました。「清左衛門の湯」と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。
この小沢の湯では、吹き出す蒸気で温泉卵を作って食べることができます。地元の人も旨いと太鼓判を押す、熱海のちょっとした名所です。
※2023年7/1リニューアル完了。蒸し釜が2つになり、ベンチも新設されました。 -
歴史作家:杉本苑子氏の旧居
「孤愁の岸」(直木賞)・「滝沢馬琴」(吉川英治文学賞)等の作品で知られる歴史作家:杉本苑子氏によって昭和52年に建てられました。
杉本氏は当初、別荘として利用していましたが、1980年(昭和55年)からはこの家に居住。1995年(平成7年)に市内に新居を建てるまでの約15年間、この建物で執筆されました。
館内は杉本氏の作品をはじめ、熱海市にゆかりのある文化陣の作品や日用品等を展示しています。
杉本氏は、1997年(平成9年)に2人目の熱海市名誉市民として顕彰され、2002年(平成14年)に文化勲章を受章されました。 -
佐佐木信綱の旧宅
国文学者で特に「万葉集」の研究者として優れた業績を残した佐佐木信綱の旧宅です。 信綱は病後の静養の地として、 1944年(昭和19年)に温暖な熱海に居を構え晩年を過ごしました。
建物の内部には入れませんが、庭園には「万葉集」に歌われた草木が数多く植えられ、 信綱の詠んだ歌の説明板が配置されています。
佐佐木信綱は、1872年(明治5年)に三重県で生まれ、13歳で東京帝国大学文科大学古典科に入学。17歳で卒業し、以後、国文学者・歌人として活躍しました。
病気療養と著作のため、 1944年(昭和19年)に熱海の西山町にある知人の別荘に転居し、 以後1963年(昭和38年)に亡くなるまで当地で暮らしました。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、野中の湯。
野中山のふもとの、「野中」と呼ばれるこの辺り一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。
またこのあたりの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る材料に使われました。
江戸時代まではこの「野中の湯」は湧き出るところが浅かったため、湯をためる湯枡を設けなかったといわれています。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、「風呂の湯・水の湯」。
風呂の湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の上騰が盛んでまんじゅうを蒸したり酒を温めたりして販売していました。
またこの湯の傍らに塩分の無い温泉が湧き出し、明治時代には淡白無味常水を温めるもののごとしとして「水の湯」と名付けられました。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、「清左衛門の湯」は、昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちて焼け死んだので、その名が付いたといいます。
明治までは、昼夜常に湧き出てたえることがありませんでした。
人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、「佐治郎の湯」は、佐治郎という者の邸内にあったことからこの名で呼ばれるようになりました。この源泉は明治のころは上杉助七という者の邸内にあり、後に新かど旅館の所有になったので「新かどの湯」とも呼ばれていました。火傷に良く効き、また眼病にも良いといわれているので、「目の湯」という別名もあります。 -
熱海七湯で湯の町の情緒を味わう
街を歩くと、坂道のところどころから湧き出す湯気が発見できます。「熱海七湯」といわれる源泉です。源泉を巡り、長い歴史と温泉情緒に触れるのもおすすめです。
熱海七湯の一つ、「河原湯」。
この辺りは石のごろごろとした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ました。当時、湯治客には「大湯」の源泉が主に使われ、他の源泉も限られた家のみが使用できるお湯だったため、 村人が自由に入浴できるのはこの湯だけでした。 1666年(寛文6年)に小田原城主稲葉美濃守が、村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、「瓦湯」と称したともいわれています。 -
熱海を一躍有名にした文学作品に触れる
明治時代から多くの文豪たちが居を構え、名作を執筆した熱海。 その中でもひときわ有名なのが、明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に断続的に掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)です。
この小説にちなむ「お宮の松」と、「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる歌謡が一体となり、爆発的に流布し、主人公「貫一・お宮」はあたかも実在の人物のように 国民の心をとらえて離さない存在となりました。
「貫一・お宮の像」そして「お宮の松」は海岸の国道沿いにあり、観光写真スポットとして多くの人が訪れます。 -
明治の文豪:坪内逍遙の住居
シェークスピアの翻訳家としても有名な明治の文豪、坪内逍遙が、1920年(大正9年)から1935年(昭和10年)に亡くなるまでの15年間を過ごした住居。
坪内逍遥は、約9年間、荒宿(現在の銀座町)に住み、シェークスピア劇の翻訳や、戯曲「名残の星月夜」、「義時の最後」などを著しましたが、閑静だった荒宿が騒がしくなり、執筆活動に専念できなくなったことから、水口町に新しく建てたのがこの双柿舎です。
樹齢300余年と言われる柿の大樹が2本あることにちなんで「双柿舎」(そうししゃ)と呼ばれるようになりました。
邸内には、塔の形の書屋や筆塚があり、また、会津八一の筆による門の扁額なども見どころとなっています。
※庭園と書屋を見学できます。 -
熱海出身の芸術家
熱海出身の文化勲章受章者・澤田政廣(さわだせいこう)の代表作品を集めた美術館で、 多くの木彫作品をはじめ、絵画・墨彩・陶芸・版画・書など、 あらゆる領域にわたった芸術作品を展示しています。
入口天井のステンドグラス「飛天」の下で手をつなぐと、いつまでも幸せになれる、と人気です。
赤御影石の床に映る「飛天」も美しく、頭上と足元の両方でステンドグラスを楽しむことができます。 -
世界的アーティストの作品を展示
マルチアーティストとして世界的に活躍した故池田田満寿夫氏が、自らの作品と芸術をより多くの人たちと共有するために建設したギャラリー。同氏が亡くなって10年後の2007年に開館しました。
隣接する工房「満陽工房」で作られた陶版や花器、熱海の海岸で行った野焼きの壷など、熱海ゆかりの作品を中心に、版画・書・陶・ブロンズなど常時60点を展示しています。
宮川の清らかな流れと雄大な伊豆の山々に囲まれ、近くの丘からは太平洋が見渡せるこの記念館では、作品と共に、池田氏が愛した季節の花々や野外彫刻もご覧いただけます。