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世界的アーティストの作品を展示
マルチアーティストとして世界的に活躍した故池田田満寿夫氏が、自らの作品と芸術をより多くの人たちと共有するために建設したギャラリー。同氏が亡くなって10年後の2007年に開館しました。
隣接する工房「満陽工房」で作られた陶版や花器、熱海の海岸で行った野焼きの壷など、熱海ゆかりの作品を中心に、版画・書・陶・ブロンズなど常時60点を展示しています。
宮川の清らかな流れと雄大な伊豆の山々に囲まれ、近くの丘からは太平洋が見渡せるこの記念館では、作品と共に、池田氏が愛した季節の花々や野外彫刻もご覧いただけます。 -
熱海を一躍有名にした文学作品に触れる
明治時代から多くの文豪たちが居を構え、名作を執筆した熱海。 その中でもひときわ有名なのが、明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に断続的に掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)です。
この小説にちなむ「お宮の松」と、「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる歌謡が一体となり、爆発的に流布し、主人公「貫一・お宮」はあたかも実在の人物のように 国民の心をとらえて離さない存在となりました。
「貫一・お宮の像」そして「お宮の松」は海岸の国道沿いにあり、観光写真スポットとして多くの人が訪れます。 -
歴史作家:杉本苑子氏の旧居
「孤愁の岸」(直木賞)・「滝沢馬琴」(吉川英治文学賞)等の作品で知られる歴史作家:杉本苑子氏によって昭和52年に建てられました。
杉本氏は当初、別荘として利用していましたが、1980年(昭和55年)からはこの家に居住。1995年(平成7年)に市内に新居を建てるまでの約15年間、この建物で執筆されました。
館内は杉本氏の作品をはじめ、熱海市にゆかりのある文化陣の作品や日用品等を展示しています。
杉本氏は、1997年(平成9年)に2人目の熱海市名誉市民として顕彰され、2002年(平成14年)に文化勲章を受章されました。 -
明治の文豪:坪内逍遙の住居
シェークスピアの翻訳家としても有名な明治の文豪、坪内逍遙が、1920年(大正9年)から1935年(昭和10年)に亡くなるまでの15年間を過ごした住居。
坪内逍遥は、約9年間、荒宿(現在の銀座町)に住み、シェークスピア劇の翻訳や、戯曲「名残の星月夜」、「義時の最後」などを著しましたが、閑静だった荒宿が騒がしくなり、執筆活動に専念できなくなったことから、水口町に新しく建てたのがこの双柿舎です。
樹齢300余年と言われる柿の大樹が2本あることにちなんで「双柿舎」(そうししゃ)と呼ばれるようになりました。
邸内には、塔の形の書屋や筆塚があり、また、会津八一の筆による門の扁額なども見どころとなっています。
※庭園と書屋を見学できます。 -
佐佐木信綱の旧宅
国文学者で特に「万葉集」の研究者として優れた業績を残した佐佐木信綱の旧宅です。 信綱は病後の静養の地として、 1944年(昭和19年)に温暖な熱海に居を構え晩年を過ごしました。
建物の内部には入れませんが、庭園には「万葉集」に歌われた草木が数多く植えられ、 信綱の詠んだ歌の説明板が配置されています。
佐佐木信綱は、1872年(明治5年)に三重県で生まれ、13歳で東京帝国大学文科大学古典科に入学。17歳で卒業し、以後、国文学者・歌人として活躍しました。
病気療養と著作のため、 1944年(昭和19年)に熱海の西山町にある知人の別荘に転居し、 以後1963年(昭和38年)に亡くなるまで当地で暮らしました。 -
完全イヤシロチ
“経営の神様”と言われた舩井幸雄氏の終の栖となった熱海市西山の邸宅が、【「総桐」の住まい・旧舩井幸雄邸 舩井幸雄記念館「桐の家」】として2016年7/2にオープンしました。
舩井氏はかねてより、「自然に勝るものはない。そして、人間もまた自然の一部なのだから、自然の摂理にしたがって生きるのがよい」と伝えてこられ、2003年に熱海の山中に住居をかまえました。この最後の引越しは、まさにその言葉どおりのものとなりました。
そんな「完全イヤシロチ」である記念館と自然に触れていただきながら、同氏の著作はもちろん、日々研究の材料としていた莫大な蔵書、万年筆でしたため続けた生原稿、人生を垣間見ることができる写真、雑誌・新聞等の切り抜き、愛用品の数々、不思議な癒しグッズ、デスク、ベッド、美術品や絵画、直筆サインや文字などを、あますところなくご覧ください。 -
のぼれる灯台16「初島灯台」
日本で15番目の登れる灯台、初島灯台。
晴れた日には伊豆諸島や伊豆半島、遠くは房総半島まで、ダイナミックな眺望を楽しめます。
灯台資料展示館では3Dパノラマビューや、初島の歴史、灯台の仕組みに関する展示をご覧いただけます。 -
熱海多賀火山の名残が残る景勝地
熱海の景勝地の一つ。伊豆の玄関、魚見崎の南から約1キロメートルに及び断崖が続く名勝です。(魚見崎~錦ヶ浦~曽我浦は約2キロメートル)
太陽がのぼるとき、光が浦にそそいで眩しい五色の光となって輝くことから、京の錦織の名をかりて「錦ヶ浦」と呼ぶようになりました。熱海多賀火山の名残を残し、源頼朝、加藤清正などの歴史的人物に由来する伝説も残されています。
崖の高さは80メートル。荒波が刻んだ兜岩・基盤岩・烏帽子岩・弁天岩など奇岩が並び、海上には初島や大島が浮かびます。
ホテルニューアカオ~喫茶「花の妖精」付近から、この絶景を眺めるのもおすすめです。
※ホテルニューアカオ「屋上庭園」への立ち入りは同ホテル宿泊者のみとなります。ご了承ください。 -
大正時代の作曲家:中山晋平の別荘
大正初期から大衆音楽の普及に大きな足跡を残した「てるてる坊主」「肩たたき」「シャボン玉」などの著名な作曲家、中山晋平(1887年~1952年)の別荘を移築し、一般公開しています。
中山晋平は1944年(昭和19年)、第二次世界大戦がはげしくなったのを契機に東京都中野区より熱海市に移住し、1952年(昭和27年)に亡くなるまで居住していました。
館内には、作曲に使用したピアノや、直筆の譜面、当時のレコードなど貴重な物が展示されています。
日本庭園の静かなたたずまいの中に落ち着いた木造建築がとけあい、 訪れる人々の心に安らぎを与えてくれます。 -
名邸で大正時代の文化財に触れる
1919年(大正8年)に別荘として築かれ「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣。1947年(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。今は熱海市の文化財として一般公開されています。
市街地とは思えない緑豊かな庭園。日本家屋の美しさをとどめる本館(和館)と離れ。日本、中国、欧州などの装飾や様式を融合させた独特の雰囲気を持つ洋館。優美な気品を醸し出すこれらの施設は、歴史的・文化的遺産として未来に継承されます。 -
ブルーノ・タウトが日本に残した建築
アジア貿易で活躍した日向利兵衛が別邸の離れとして1936年(昭和11年 )に竣工。
木造二階建ての母屋の設計は、東京銀座の和光、東京上野の東京国立博物館、愛知県庁などの設計で知られる渡辺仁によるものです。
地下室はドイツの世界的建築家:ブルーノ・タウトが内装を設計、タウトが日本に残した唯一現存する建築作品です。
竹や桐をふんだんに用いた社交室、部屋の一部として階段のある洋室、そして和室の3室から構成され、桂離宮、伊勢神宮など日本の様式美を意識して設計されています。日向氏の死後は民間企業の保養所として大切に使われてきましたが、その後、取り壊しの危機に直面していた2004(平成16)年、東京在住の篤志家の寄付により熱海市が取得。2006(平成18)年には、国の重要文化財に指定されました。
竣工から80年以上が経過し、経年劣化に伴う破損や耐震性向上のための修理事業が急務となり、2018(平成30)年度から2021(令和3)年度まで、大規模な保存修理事業が行われました。
2022年8月、建築された当時の状態を可能な限り保存し再現して一般公開を再開しました。※見学は完全事前予約制(ネット予約のみ)となります。詳細・予約は下記HPにてご確認ください。
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大自然の360度パノラマ絶景!
その昔、十の国(伊豆、相模、駿河、遠江、甲斐、安房、上総、下総、武蔵、信濃と五島<大島・新島・神津島・三宅島・利島>)が見えたことからその名がついたといわれる十国峠。日金山の頂上からは、北に富士山、西に駿河湾、東に相模湾の景色が広がります。
昔から絵筆をもって、この展望を画こうと試みた人達も多かったようですが、この広さと美しさに歯が立たなかったと伝えられています。
山頂へはケーブルカーが往復。姫の沢公園から約1時間半、自然を満喫しながらのトレッキングで訪れることもできます。
春にはツツジが満開になり、 夏にはここちよい涼風がそよぎ、秋には波うつススキの穂がなびき、 冬には暖かい高原の日差しが歓迎してくれます。
(2024年9/12更新)
※西熱海別荘前から箱根向けと姫の沢公園から箱根に向かう途中の一部区間で土砂流出が発生し、伊豆箱根バス「熱海駅十国峠線」「熱海駅箱根線」は「笹良ヶ台入口」折返しの運行となっています(十国峠、元箱根区間は運休)。土砂流出等の調査も含め復旧は未定となっておりますので、ご注意ください。
(2024年9/30更新)※10/28(月)~30(水)は、ケーブルカー点検に伴い運休となります。(「TENGOKU CAFE」も終日休業) -
早咲きの梅・遅い紅葉が楽しめる公園
日本で最も早咲きの梅、そして最も遅い紅葉と言われる熱海梅園。梅は樹齢100年を超える古木を含め60品種・469本、紅葉樹は約380本もあり、のんびり散歩をしながら自然美を堪能できる場所です。
1月上旬~3月上旬の梅まつり、5~6月の新緑、11月中旬~12月上旬のもみじまつりと、四季折々で楽しめます。熱海梅園は、内務省の長与専斎が、「温泉がよく病気に効くのは、ただその中に含まれている塩気や鉄精にばかり頼らず、適当な運動をするからである」(「熱海風土記」梅園記より)と、提唱したことから造成され、1886年(明治19年)に開園しました。
温泉保養地として栄えた熱海文化の、重要な一端を担っています。→熱海梅園もみじまつり(2024.11/16~12/8)
→熱海梅園梅まつり(2025.1/11~3/2)※画像の無断使用はご遠慮ください。
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全てが美しい美術館
東洋美術の絵画・書跡・工芸を中心に国宝3点、重要文化財67点、重要美術品46点を含む約3500点の収蔵品を誇る熱海を代表する美術館。尾形光琳の最高傑作とされる国宝「紅白梅図屏風」(※期間限定公開)は特に名高い作品で、毎年2月の梅の季節に合わせた公開を待つファンも大勢いらっしゃいます。
美術館は7万坪にも及ぶ熱海の高台に建てられていて、館内のメインロビーやムア広場からは伊豆大島や初島など、美しい絶景が望めます。施設内には、春には桜やツツジ、初夏には新緑、秋には紅葉と四季折々に違った姿を見せる庭園も完備。アートと自然を味わいながらリゾート気分でゆっくりとお過ごしください。 -
天才と呼ばれたアーティストの軌跡
版画や絵画、映画など幅広い才能をほしいままにしたマルチアーティストの故池田満寿夫が1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)に亡くなるまで住まいとして、またアトリエとして、世界的ヴァイオリニストの佐藤陽子氏と過ごした家。
天才と呼ばれたふたりがともに暮らし、芸術活動の拠点としたこの家には、池田氏の芥川賞受賞作「エーゲ海に捧ぐ」の直筆原稿や年譜、写真、リトグラフ、陶板など、また佐藤氏のステージ用ドレスや楽譜、年譜、写真などが展示されています。
ふたりの華やかで気取らない日々の暮らしの一端をご覧ください。
(2024年11/29更新)※大雨による漏電・施設損壊のため、11月初旬より休館していますが、12/1(日)より再開します。 -
伊豆山神社の所蔵品を中心に、伊豆山地区に代々伝わる郷土資料を展示しています。
特に、静岡県有形文化財である「銅造走湯権現立像」(どうぞうそうとうごんげんりゅうぞう)や「木造宝冠阿弥陀如来像及び脇侍像」(もくぞうほうかんあみだにょらいぞうおよびわきじぞう/静岡県指定有形文化財)など、往事の信仰を考えるうえで貴重な資料を展示しています。
また、北条政子の頭髪で刺しゅうされた曼荼羅であると伊豆山神社に伝わる「頭髪梵字曼荼羅」(とうはつぼんじまんだら※複製)なども展示されています。
●2024年11/28(木)~12/24(火)、北条政子の髪で刺繍されたと伝わる法華曼荼羅の実物を公開します。 -
芸妓衆が厳しいお稽古をする場、芸妓見番(げいぎけんばん)。1954年(昭和29年)に現在の建物が完成しました。当時としては立派な建物で、 東海一の芸妓組合と言われていました。
現在はここを会場に、毎週土日「湯めまちをどり華の舞」を開演しています。
普段はなかなか見ることのできないプロの踊りをご堪能下さい。着物の着こなし、振る舞い、ため息ものの美しさです。
※8月は休演
※2023年10月「熱海芸妓茶屋」オープン
(2024年11/22更新)※2025年1/1(水祝)・1/2(木)特別公演(入場料3000円)を行います。