• 熱海芸妓置屋連合組合
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熱海の華「熱海芸妓」と熱海

熱海芸妓置屋連合組合組合長 西川千鶴子さん
明治時代から始まる「熱海芸妓」は、熱海を代表する伝統文化です。
実は熱海は、今でも100名程の芸妓が活躍している全国でも屈指の芸者街です。
熱海の華やかな文化である熱海芸妓の歴史と熱海について、熱海芸妓置屋連合組合組合長の西川千鶴子さんにお話を伺いました。
  • 熱海芸妓置屋連合組合 組合長 西川千鶴子さん
東京から熱海にやってきたのは15歳のとき。海あり、山あり、温泉ありの熱海は、本当にすばらしい所。ここに来てすぐに熱海が大好きになって、すっかり虜になってしまいました。それからずっと熱海に住んでいます。
都心から近い熱海は、東京の奥座敷として当時から賑わい、全国から人が集まる魅力的な場所です。私は子どものころから稽古をはじめ、熱海で芸妓としてずっと生きてきました。芸妓は、踊りや三味線などの日本の伝統文化で宴を華やかに楽しく盛り上げるプロです。一人前になるには踊りや鳴り物など、その道のプロであるお師匠さん方に教えを受けながら、厳しい稽古を積みます。芸者には様々な呼び方があって、関東では「芸者」「芸妓(げいぎ)」、見習い中は「見習いさん」、関西では「芸妓(げいこ)」、「舞妓」と呼ばれています。
  • 昭和40年代の熱海銀座
熱海の芸妓の歴史は、明治時代から始まります。明治10年、阪東三代吉師(本名 樋口ろく)は遊芸師として熱海浜町に居住して、 宿屋に滞在のお客様に踊りや長唄の稽古の相手をしていました。それから多くの弟子に受け継がれ、熱海温泉の発展とともに花柳界も発展しました。
「芸妓」と呼ばれるようになったのは、昭和7年に熱海芸妓組合が設立してからです。昭和25年に熱海大火があり、多くの置屋も焼け出され、熱海の街並みも随分変わってしまいました。今の熱海芸妓見番の建物はそれを機に建て替えられ、昭和29年に完成したものです。当時としては本当に立派な建物で「東海一の芸妓組合」と呼ばれました。
熱海が観光客で賑わう昭和30~40年代には1,000名以上もの芸妓がいました。当時どれほどまちが華やかだったか、お分かりいただけるでしょう。
  • 稽古中の芸妓たち
今では置屋も芸妓の数もずいぶん少なくなってしまいました。それでも、今でも熱海には40程の「置屋」があり、100名程の芸者が活躍している全国でも屈指の芸者街。熱海を代表する伝統文化として位置づけられています。
熱海に住む人はもとより、観光、来訪のお客様方にも芸妓文化を知っていただこうと企画されたのが「熱海をどり」です。舞台では日本古来の伝統芸能を華やかに披露します。熱海芸妓見番の建物が完成した日を記念して、開期は毎年4月28日・29日と決められています。
また、平成10年からは「芸妓見番ぶらり-湯めまちをどり華の舞-」と称して、芸妓見番(置屋の組合)を公開。熱海の伝統芸能を身近に目の前で観賞いただけるようになりました。踊りを見た後は、芸妓との会話や記念写真撮影もお楽しみいただけます。熱海の伝統文化を受け継いでいくのが私たちの使命です。こうした舞台で、芸妓をより身近に感じて、親しんでいただければうれしく思います。
  • 稽古を見守る西川組合長
熱海は今、若い方にたくさんお越しいただけるようになり「華の舞」のお客様も、学生グループや家族連れが増えています。新しいお客様にお会いできるのはうれしいものです。
昼の舞台で芸妓を身近に感じていただきましたら、夜のお座敷にもぜひ芸妓を呼んでください。お座敷遊びは、かつては経験のある先輩が後輩に遊び方を教えるものでしたが、今ではそうした機会も少なくなってしまいました。年配の方はぜひ若い子たちを誘い、粋な遊び方を教えてあげてください。芸妓はおもてなしのプロですから、若い方でもきっとお座敷を楽しんでいただけることと思います。
女性のみなさまには、日本の女性の美しさを、芸妓を通してもっと知っていただければと思います。着物は世界に誇る日本の民族衣装です。芸妓が着物を着て、美しく歩く姿や、しぐさを是非近くで見てください。
日本の美が、ここ、熱海にはあります。熱海の芸妓から日本の美を感じていただけるように、私たちは稽古をして、みなさまにお会いする準備を整えています。この美しい日本文化を残していくために、私たち芸妓ができることは協力させていただき、熱海のまちのにぎわいに華をそえたいです。
熱海芸妓見番歌舞練場(熱海市中央町17-13・初川沿い)
●交通:熱海駅より紅葉ヶ丘方面行きバス利用約10分→清水町下車すぐ