明治・大正・昭和レトロなロケ旅in熱海明治・大正・昭和レトロなロケ旅in熱海

お宮の松

熱海を有名にした「金色夜叉」

尾崎紅葉の連続小説

熱海といえば、尾崎紅葉(1868〜1903)の連続小説「金色夜叉(こんじきやしゃ)」がよく知られています。尾崎紅葉は、慶応3年(1868)生まれの小説家。学生のときに初めて熱海を訪れたそうです。「金色夜叉」は明治30年1月~35年5月まで読売新聞に掲載された連載小説で、熱海温泉を全国的に有名にしました。作品は尾崎紅葉が執筆中に亡くなったため未完成のまま終わっています。

これぞ「元祖昼ドラ」!貫一とお宮の愛憎劇

「来年の今月今夜、この月を僕の涙で曇らせてみせる」の台詞で有名な「金色夜叉」。貫一が、許嫁のお宮を資産家に奪われた復讐で、高利貸しの鬼となるという物語。熱海の海岸での別れの場面は特に有名です。「元祖昼ドラ」!ともいえる、ふたりのドロドロ愛憎劇は国民的な話題となり、超ベストセラーとなりました。

これぞ「元祖昼ドラ」!貫一とお宮の愛憎劇

明治時代 熱海が一躍有名に明治時代 熱海が一躍有名に

貫一・お宮と熱海

明治時代、尾崎紅葉の「金色夜叉」の人気で、熱海には多くの観光客で賑わいました。「お宮さんが蹴られたのはどこかしら」と訪れた人が探すことから、大正8年には金色夜叉の碑が建てられ、傍らに立つ「お宮の松」とともに新名所となりました。松は樹齢300年を超えたことから、昭和41年に2代目の松に植え替えられています。ここに「貫一・お宮の像」が建てられたのは昭和61年。今でも多くの観光客が訪れる場所になっています。

貫一・お宮と熱海
熱海御用邸

熱海御用邸

江戸時代、3代将軍家光は熱海御殿を造りましたが一度も訪れることはなく、御殿は取り壊されて、御殿地だけ残りました。明治時代になり、この土地を活用してつくられたのが、熱海御用邸です。明治22年から、健康が優れなかった皇太子(後の大正天皇)の避寒地として活用されました。現在その跡地には、市役所が建てられています。

熱海梅園と献上梅

熱海梅園と献上梅

日本一早い早咲きの梅と、日本一遅い紅葉が楽しめることで有名な熱海梅園は明治19年に開園しました。当時、内務省の長与専斎が、「温泉がよく病気に効くのは、ただその中に含まれている塩気や鉄精にばかり頼らず、適当な運動をするからである」(「熱海風土記」―梅園記より)と、提唱したことから造成されたそうです。毎年12月には、天皇陛下の誕生日をお祝いし、熱海梅園の梅枝が献上されています。

大正時代 文豪に愛された熱海大正時代 文豪に愛された熱海

起雲閣の歴史

起雲閣の歴史

熱海を訪れる人は皇族や政界の大物をはじめとした一部の特権階級に限られていましたが、大正時代になると学者や文人といった知識階級の人たちを中心に、徐々に庶民へと広がりました。大正8年、政・財界で活躍し「海運王」とも呼ばれた内田信也は、熱海に別荘を築きました。この別荘は、後に、鉄道で財を成した根津嘉一郎の別荘となり、第二次世界大戦後に桜井兵五郎の手に渡り、旅館「起雲閣」と名を変えました。現在は、熱海市の文化財として一般公開されています。

熱海と文豪

左から、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎

熱海と文豪

「起雲閣」は、数多くの文豪なども迎え、昭和の熱海を語る上では欠くことのできない華やかな舞台の一つとなりました。昭和22年には旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、谷崎潤一郎、志賀直哉、山本有三など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。

熱海を愛した坪内逍遙

坪内逍遙

熱海を愛した坪内逍遙

シェークスピアの翻訳家としても有名な文豪、坪内逍遙が、大正9年から昭和10年に亡くなるまでの15年間を過ごした住居が熱海市水口町にあります。樹齢300余年と言われる柿の大樹が2本あることにちなんで「双柿舎」(そうししゃ)と呼ばれています。 邸内には、塔の形の書庫や筆塚があり、また、会津八一の筆による門の扁額なども見どころとなっています。

熱海芸妓

熱海芸妓

大正時代には、湯治客を芸でもてなす、熱海の芸妓業が盛んになりました。大正2年に芸妓組合が設立されると芸妓は急増し、昭和初期には、200人を数えました。現在は約120人ですが、今も全国屈指の人数です。
芸妓衆が厳しいお稽古をする「芸妓見番」は、昭和29年に現在の建物が完成しました。現在はここを会場に、毎週土日「湯めまちをどり 華の舞」を開演していて、普段はなかなか見ることのできないプロの踊りを観ることができます。

昭和時代 レトロな文化が開花昭和時代 レトロな文化が開花

全国屈指の温泉観光地へ

昭和9年、丹那トンネルが開通し16年の歳月をかけた熱海線が完成し、熱海発展の大きな契機となりました。昭和39年には東海道新幹線が開業し、熱海への来遊客は目覚しく増えました。湯治から団体中心へと旅行形態が変化する中で、熱海の旅館数は増加し、その規模も拡大され、市内には誘客のための様々な施設が整備されるなど、熱海は湯治場から温泉観光都市へと大きく変化していきます。

全国屈指の温泉観光地へ

レトロな喫茶

各界の要人や文豪などが頻繁に訪れた明治から大正、昭和の熱海。本物志向のお客さんの要望にこたえるために、熱海は当時の最先端のメニューや設備を積極的に取り入れていました。今でも、熱海の喫茶店にふらりと入れば、ランプシェードの黄色い灯りの下、香り高いコーヒーとともに一瞬にして当時にタイムスリップできます。

レトロな喫茶
レトロな喫茶
団体旅行の名所

団体旅行の名所

団体旅行客がわいわい楽しめるのは、熱海城。昭和34年に建てられ、美しい景観や、エンターテイメント性に魅かれて、今もたくさんの観光客が訪れています。昭和33年につくられた「アタミロープウェイ」や、お隣にある日本で唯一残る「熱海秘宝館」も昭和のなつかしさたっぷり!

団体旅行の名所
イマジネーションのまち

イマジネーションのまち

今でも数々の映画やドラマ、小説の舞台になっている熱海。多くの人を魅了し続けるイマジネーションのまちです。

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